| タイトル | 著者 | ページ |
| はじめに | | |
| 『プラダを着た悪魔』の主人公はどんな話し方をする? | | |
| 「ハリー・ポッター」のハーマイオニーには友だちがいない? | | |
| 小説はフィクション、わたしたちはリアルな存在 | | |
| フェミニスト翻訳とは女性を「見える化」「聞こえる化」すること | | |
| これから紹介する内容 | | |
| 第一章 小説の女たちはどう翻訳されてきたのか | | |
| 日本語への翻訳とジェンダー | | |
| 日本語の女ことばと男ことば | | |
| 翻訳の中の女性はもっとも典型的な女ことばを話す? | | |
| 翻訳小説の女性の話し方vs現実の女性の話し方 | | |
| 分析の方法 | | |
| 翻訳小説の女性たちはどんな話し方をする? | | |
| 翻訳小説の話し方≠現実の女性の話し方 | | |
| 自分にとって当たり前なことは目に見えない | | |
| 翻訳された小説vs日本語で書かれた小説 | | |
| 役割語は翻訳の方が使われる? | | |
| 児童文学ではどうなる? | | |
| 児童文学は保守的。児童文学の翻訳はもっと保守的。 | | |
| 「すごく静かだね。」はどんな意味? | | |
| 翻訳者が再現しようとすること | | |
| 汚いとされる表現にも意味がある | | |
| 女性の翻訳者vs男性の翻訳者 | | |
| 女が女を訳すとき | | |
| 女ことばは作られたもの | | |
| 文学で使われ、一般に広がった女ことば | | |
| 女ことばは個性を見えなくする | | |
| 章末資料 | | |
| 第二章 女たちのために自分たちで翻訳する | | |
| 一九七〇・八〇年代に、自分でいる力をくれた翻訳があった | | |
| 女性の健康のバイブル『Our Bodies,Ourselves』 | | |
| わたしのからだは自分のもの。自分のからだをよく知ろう。 | | |
| 自分を大切に生きる権利は、みんなにある | | |
| 「からだ教育こそ、教育の中核だ」 | | |
| 知識は、わたしたちが自分自身を生きるための力になる | | |
| 最初の日本語訳『女のからだ』 | | |
| 二冊目の日本語訳『からだ・私たち自身』 | | |
| 『Our Bodies,Ourselves』の時代-個人的なことは政治的なこと | | |
| 『女のからだ』の時代-ウーマン・リブ | | |
| 『からだ・私たち自身』の時代-ウーマン・リブからフェミニズムへ | | |
| フェミニスト翻訳の三つの具体的な方法 | | |
| 『女のからだ』のフェミニスト翻訳の方法 | | |
| (1)性役割を「見える化」 | | |
| (2)女ことばを使わず、女性を「見える化」 | | |
| (3)「わたし」を「見える化」 | | |
| (4)序文や脚注で翻訳者と著者を「聞こえる化」 | | |
| 『からだ・私たち自身』のフェミニスト翻訳の方法 | | |
| (1)女性器名称のネガティブ表現をなくす | | |
| (2)月経は恥ずかしくない。隠さなくていい。 | | |
| (3)看護は女性だけではなく、人間の仕事 | | |
| (4)序文や写真、巻末で翻訳・編集者や関わった人たちを「見える化」 | | |
| 第三章 これからのために翻訳ができること | | |
| これから考えられる三つの変化 | | |
| (1)一律の女らしさから、それぞれの個性へ | | |
| (2)ネガティブなイメージのない性器の名称へ | | |
| (3)「彼」と「彼女」だけでなく、インクルーシブな代名詞を | | |
| おわりに | | |
| 参考文献 | | |